奈良、ならではのお話を。
- tmarine45
- 2023年8月30日
- 読了時間: 2分
知っているようで、知らない奈良。
初回は、ウワナベ古墳のお話です。
株式会社東京マリンサービス事務所の北側に、(大きな池に囲まれた森のように見えますが)大きな古墳があります。ご存知、ウワナベ(宇和奈邊)古墳(205.4m)です。
5世紀中頃に作られたとされる歴史ある前方後円墳で、宇和奈邊古墳群(佐紀盾列古墳群(皇后陵が多い)の東群)ですが、第15代応神天皇(270-310年)の娘、第16代仁徳天皇(313-399)の後皇后である八田皇女(やたのひめみこ)の陵墓参考地として宮内庁が治定(じてい)して国が管理しています。(仁徳天皇は八田皇女の異母兄で、二人には子供はいないようです。)


〔さて、ここからがポイント〕
仁徳天皇のお墓(仁徳天皇陵 世界三大墳墓の一つ)は、ご存知の通り大阪府 堺市にありますが、後皇后と同じように前皇后の磐之媛命(いわのひめのみこ)のお墓(磐之媛命陵、ヒシアゲ古墳)もこのウワナベ古墳の西側にあります。
古い書物(古事記、日本書紀、万葉集等)によれば、色々と歴史があるようですが、定説によれば、磐之媛命が嫉妬深く、八田皇女が宮中(難波宮)に入る(妃となる)ことを許さず、留守中に仁徳天皇が難波宮に入れた事を怒り、二度と 宮中(難波宮)に帰らず、そのまま筒城宮(京田辺市)で亡くなられたとの事です。
そんな二人の関係を踏まえ、宮中の方々が、どこにお墓を作るかを考えての結果なのでしょうか。事実であれば、現代にもつうじるお話しかと思います。
株式会社東京マリンサービス
2023.8.30発信
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