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奈良、ならではのお話を。2024.2.7発信 〔第4号〕


⇒ 知っているようで、知らない奈良。

今回は、唐招提寺のお話です。



天平時代を代表する建物、唐招提寺金堂(寄棟造)です。

㋑ 金堂前の清浄な空間で、

㋺ 仏教の心(戒律)に浸り、

㋩ 壮絶な苦難を乗り越えて、唐の国から日本にたどり着いた不撓不屈の高僧(鑑真和上)

を偲びます。※心が洗われる感じがします。


1.  唐招提寺(とうしょうだいじ)は、五条町にある律宗(戒律の研究と実践)の総本山です。

759(天平宝字3)年、日本での仏教(戒律)を正しく教え授ける戒師の仕事を終えた鑑真の余生を送る為に西の京(天武天皇の子 新田部親王の旧宅地)に建てられました。

 このお寺で鑑真は亡くなる最後(763年)まで、各地から集まる僧尼を教育します。

 

2.仏教と鑑真和上(唐の高僧)のお話

(1)仏教の伝来 : 538(宣化天皇3)年と552(欽明天皇13)年の2説ありますが、 百済の王から使者が来て、飛鳥の地(桜井市)に仏像と経典を伝えたことで 始まります。→ 今では、538年説が有力です。

(2)宗教対立等 : 仏教が伝来しましたが、蘇我氏と物部氏との間に宗教対立 (疫病の原因が仏教伝来のせいとの考えも発生)や飢饉等が有り、 仏教も国も  安定しませんでした。

3)遣唐使派遣 : 仏教の伝来から200年の時を超えて、仏教の出しい教えで国を   安定させたいと考えた朝廷は、国分寺、東大寺、奈良の大仏等を作っていき    733(天平5)年第9次遣唐使に唐の国から高僧を招く   指示(栄叡、普照の二人の僧が派遣されました。)を出します。

苦難の渡航 : 鑑真は日本に行くことを決めましたが、唐の高僧でしたので渡航に反対され            また邪魔もされます。⇒ 不撓不屈の渡航の始まりです。

          

           1回目(741年)は海賊とつながっているとの罪で逮捕、                   2回目と3回目は台風、4回目は渡航反対派の邪魔、5回目は漂流、               そして6回目にして鹿児島に漂着(753年)します。しかし、                 それまでの苦難で失明していました。→ 遣唐使派遣の栄叡は既に死亡。

5)東大寺戒壇院: 奈良にたどり着いた鑑真は大歓迎を受けます。                         東大寺に戒壇院が建てられ、日本に戒律を伝え教えることになります。


                                   東京マリンサービス

 
 
 

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